はじめに〜息子はるを産んで

これはわたしがはるを授かり、産み、そして今に至るまでに考えたこと、思ったことを書いています。

中には不快に思われる記述があるかもしれませんが
わたしという人間が考え、選び、悩みながらも歩んできた、100%本物の気持ちです。


親ばか、という言葉がある。


うむまでは知らなかった。そんな気持ち。
こどもが苦手だった。幼稚園児をみて顔をひそめる、そんな女だった。

「こどもが嫌いな人でも自分の子は違うよ。自分の子は絶対かわいいから」
そう言われても、ちっともピンとこなかった。だからうむのが怖かった。

旦那と結婚してすぐの頃、「子供はいつにする」と聞かれた。
わたしは正直に「今はまだうみたくない」と答えた。
「どうして」という旦那にうまい理由はいえず、ただ「自信がないから」と答えた。
「今っていつまで?」「・・・分からない」

話は平行線のまま、けんかをたくさんした。
ピルを飲んでいたわたしは飲み忘れることがないように気をつけ続けていた。

半年ほどたったころ、わたしは派遣社員として就職した。まだこどもをうむ勇気はなかった。
けれど同じ頃、以前から悩んでいた卵巣脳腫摘出の手術を受け、治療のために必然的にピルを飲めなくなってもいた。


こういう状況のとき、すなわち自分の力以外で物事が動いたとき
わたしはそれを「神様がくれた(もしくは押し付けた)タイミング」だと思う。
自分では動けないにもかかわらず、まわりが動いてしまうとき、あるいは自分が動くしかないとき。

あれほどやめる気のなかったピルをやめざるを得なくなって、再開する理由はなくなってしまった。
(ピルを飲んでいたのは、避妊目的以前に卵巣脳腫沈静のための、規則正しい生理習慣を身につけるためだったから。
 結局それは沈静などしてくれず、摘出手術で事なきを得た)
少なくとも自分以外の人が納得できる理由では。

考えるしかない。もしかしたら考えが変わるかもしれない。つとめて前向きになろうとした。
それでもまだ妊娠レッツゴーにはならなかった。

就職を決める直前、旦那にこう約束した。
「4月から仕事をはじめたい。はじめるからにはすぐにやめたくはない。だからせめて今年いっぱいは避妊してほしい」

そのあいだにちゃんと考えるから、と。
ほんとうにいらないのか、欲しいという旦那を説得してまでいらないのか、
きっと待ち焦がれているであろう義両親たちに、いらない理由を説明できるほど欲しくないのか考えるから。


旦那は了解してくれた。
そしてしばらくのあいだ、こどもの話はしなくなった。

わたしに考える時間をくれた旦那には今でも感謝している。
この時間がなかったら、わたしは後悔しながら子育てをしていた可能性だってあった。

時間は結局受け入れるための時間だった。
わたしに理由はない。欲しくない、自信がない、そんなのは建前だった。未知の世界だから怖いだけ、と気づいた。
いまの旦那との関係が壊れるのが怖かった、とも。

こどもはわたしにとって邪魔な存在になるのか。
そうではないはずだ。


まだ他人のこどもを見て「かわいい」と思うのは難しい。「大変そう」「うるさい」が先に来る。
少子化、なんて騒ぎながら何年も放置している政府にも不安はある。
お金も時間も愛情もかけて、離れていったら悲しいじゃすまない。

それでもうみ、育てる人の多いこと。もしかしたら、いいものかもしれない。
何より旦那と結婚したのは、幸せな家族が欲しかったからだ。家族にはこどももいる。
老後を2人きりで過ごすのは、やっぱり寂しい。

だんだんと、気持ちがほぐれていくのが自分でも分かった。
いつしかその年の冬頃には避妊をしなくなっていた。


そして12月。忘年会の予定がびっしりの手帳をながめつつ、今月の生理がきていないことに気づく。


もしかして。



予感は的中した。





妊娠が分かったときの気持ちはなんとも言いにくい。
来るはずの生理が来ない。どうして。でも心当たりはある。でもまさか。
今日も来なかった。明日も来なかったら?ピルで習慣づけたおかげか、1日だって遅れることはなかったのに。

「うそ。本当にできちゃった」次に「お酒呑んでたのに、大丈夫かな」
「忘年会が目白押しなのに、できてたら呑めないじゃない。どう言い訳したらいいのよ」

勝手だけど、真剣にそう思った。


さんざんうろたえて、ネットでいろいろ調べて、でもとりあえずその日からお酒をやめて、何日かはおろおろしていたと思う。


そして調べるものもなくなり、病院に行って胎児の入る袋(胎嚢とよばれるもの)を確認したとき。


初めて「ああ、本当に妊娠したんだ」と認識した。
ダウンロードしたソフトをインストールしたときのような認識の仕方だった。
もう脳内に組み込まれ、忘れることは出来ない。もちろん堕胎なんて考えられない。

腹をくくった瞬間、それは喜びに変わった。
お腹の中からじわじわと温かいものが全身に広がっていくような感動を覚えた。
自分でも予想しなかったほど、嬉しい気持ちがこみ上げてきた。

旦那も大喜びで、さっそくたまごくらぶを買ってきてはいろいろと注意点を言ってきた。
「名前何にしよう」「男かな、女かな。女だったら嫁入りのとき泣いちゃうな俺」

先走る彼が素直に愛おしかった。



10ヶ月はちょうどいい期間だと思う。
短すぎず、女性がこどもを受け入れるには十分の時間だ。
お腹が大きいと不便なこともあるが、慣れればたいしたことはない。
幸いにもつわりもなく、不安要素もなにもなく、検診にいっても何も言われない、そんな健やか妊婦だった。
派遣先はちょうど1年でやめた。短かったのにもかかわらず、みんなが祝福してくれたのが嬉しかった。



そして8月。
予定日より3日ほどおくれてはるがうまれた。

11時間におよぶ陣痛、そして15分ほどの分娩。
立派な安産の部類に入るという。
前駆陣痛が3日もあったことや、そんなこといわれても大変だったお産は「どこが安産!?」と言いたいが
母子共に健康だったのだから、もうそれでいいや、と思った。

うまれた瞬間、あれほど強烈だった痛みから解放されたのと、
やっと会えた我が子を前にしてわたしはわんわん泣いた。
自分でも抑えられないぐらい、感情が高ぶっていた。
こんなに会いたかったなんて、思ってもみなかった。でも会いたかった。会いたくて仕方なかったんだ。

ホッとしたのとやっと会えた喜び、そんなのがぐるぐるまわって止まらなかった。


かわいいなんて言葉じゃ言い表せない。
ただただ「ありがとう」と思った。
うまれてきてくれてありがとう。
がんばってくれてありがとう。
元気に泣いてくれてありがとう。





早いものでもうそれから8ヶ月がたった。
うまれた日、わたしの胸の上で泣いていたはるも3倍に大きくなり、お座りまで出来るようになった。
もうすぐはいはいもしそうだ。目が離せない。

お腹が空けば泣くし、夜中だっておかまいなしに起こされる。
うんでから3時間以上続けて眠れたことはほとんどない。
集中して本を読んでいても、あまえっこは体をすりよせてくる。本を手放すしかなくなる。
満面の笑顔で「まんま」という。


かわいい。

こんなにかわいい生き物をみたことがない。




守りたいと思う。
誰も傷つけたり、奪ったり、殺したりしないでほしいと願う。
優しくなって欲しいと思う。幸せでいてほしいと願う。

心から。



そんな気持ち、知らなかった。
ほんとうに何も知らなかったんだ。


ぜんぶ、はるが教えてくれた。






                                                            2006.4.10